このたびの地震により甚大な災害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
ブログを再開するにあたり、少し迷うところもあります。
公にどうやって発信してよいものかと。
今「言葉」の使い方が、とても難しい状況にあると思っています。
なので、少々こわい思いもありますが・・・。
でも、再開することにしました。
できることをする、そして被災地でないわたしたちができることは日常をこなし
経済をまわして、日本に力を与えることだと思うので・・・。
結果として日本に力がつけば、被災した方々を助けることに結びつくかと。
そんな思いで、本日よりブログをアップします。
中村教室も元気に。小さいことかもしれませんが、まずはそこからと思います。
といいつつ、あの地震のあった日のことを書こうかと思います。
本当に怖かったですね。
生まれて初めて経験する激しい揺れ。たぶんほとんどの方がそうだったのでは。
一度目の揺れが収まった後、学生たちと教室裏の公園へ避難しました。
公園はすでに近隣の会社の方たちで溢れかえり、千代田区・文京区からの緊急の放送が流れていました。わたしたちを含め避難した人々はケイタイを握り締め、連絡を取ろうと必死でした。
その間にも激しい揺れが。
外にいて地面をつかみ立っていて、あんなにも揺れを感じるなんて・・・と、学生と手を取り合い震えました。
地震が少し収まりかけた頃、みんなでそれぞれ意見を出し合い、
一度教室に帰って、着るものや貴重品をとってくる。
情報を収集する。
今後の大地震に備えて、食料と飲み物を準備する。
・・・ことで、行動を開始しました。
こういうの、たぶんひとりだったらパニックで、どれかがもれていたと思います。
誰かが気づかないことを、別の誰かが言ってくれたり、アドバイスしたり。
「
助け合い」でした。
その後準備が整い、更に強い余震が立て続けに起きたので再び公園へ避難。
そこで、とにかく何か口にして、エネルギーを蓄えて考えよう、となりました。
その間もつながらないケイタイで、なんとか家族などに連絡をとろうと試みました。
またワンセグケイタイを持っていた学生はニュースをつけて、情報を集めてくれました。
しかし、この時点では本当に何が起きているのかわかりませんでした。
ただ、余震とは思えない揺れが続き「ただ事ではない」とはみんなで思っていました。
避難していた他の会社の方の一斉帰宅が始まっていました。
わたしたちも教室の安全確認、特に火の元をチェックし、これは早急に安全に帰宅をしなければならないと判断。
ただしひとりで帰らない。
できるだけまとまって帰ること。
自宅に着いたら連絡をすること。
を決めて、数グループに分かれて歩き出しました。
ひたすら歩きました。
車は大渋滞。
道は人が溢れていました。
わたしたちは皆、無事に帰宅できましたが、帰宅できなかった方も多かったのではないでしょうか。みなさん、本当に大変でしたね。
帰宅してテレビを見て、初めて本当に何が起きたのかを知り、愕然としました。
思っていたより、いいえ、想像を絶することが今この日本で起きてるんだと。
まるで夢を見ているようで、信じられませんでした。
悪夢だ。
と一緒に帰宅した学生たちと話しました。
事の重大さを知って慌てました。
それから安否確認や教室のこと(この件ではみなさまにご迷惑をおかけしました)など、バタバタと時間が過ぎていきましたが・・・。
時間が経つにつれて、わかっていく被害の大きさ。
なのにできることのない悔しさ。
続く余震に原発問題。
なかなか気持ちが落ち着きませんね。
でもこのような大災害が起きて、人と人が助け合うことがどんなに大切なことかわかりました。
あの時学生たちみんながいてくれてとても心強かったです。
人と人とのつながりが、力となって、大きなものを動かしたり前に進んだりするんだな、と思いました。
こういうことが起きてみないと実感としてわかないのも情けないですが・・・。
被災していないわたしでもそんなふうに感じました。
これから先復興へ向けて、きっと日本中みんなが助けあう時なんでしょう。
ひとりじゃできないことも、みんなとならきっとできる。
中村教室に在籍してるみなさんも、そうじゃない方も、困った時は何でも相談してください。
助け合って、これから一緒に前に進みましょう。
またそういう関係をこれからも築いていける中村教室でありたいと、強く思っています。
そのためにわたしもがんばっていきます。
みなさん、これからもどうぞよろしくお願いします。
ともにがんばっていきましょう!
*今日は長々とすみません。
木下